政府の一斉休校要請に対する「反乱」が、学校現場の変化につながるかもしれない
【第16回】学校と教員に何が起こっているのか -教育現場の働き方改革を追う-
■自分たちで考え、決めた学校と教員たち
先の文科省調査で休校措置をとらない自治体には含まれていなかったが、栃木県茂木町は3日になって、一転して方針を変えている。同市では10日から24日までを臨時休校にする予定だったが、それを取りやめてしまったのだ。
茂木市の古口達也町長は3月4日付のブログで、休校措置をとった場合、多くの児童が学童保育を利用する可能性に触れ、以下のように休校方針撤回の理由を説明している。
「それならば、学校を通常どおりとしても同じではないか。また、スクールバスも給食も徹底的な衛生管理の下で行うことにすれば、保護者の負担も減るだろう。休校中の子どもたちのためのカップ麺や菓子の買い占めもなくなる」
さらに古口町長は、次のようにも述べている。
「茂木町はほとんどの方が共働きである。茂木町のそういった事情と他市町の事情は違うと思う」
共働きの保護者の多くが学童保育の利用を希望しており、そうなると開校しているときよりも、子どもたちは狭い場所に押し込められることになる。接触の機会は増えるわけで、感染リスクは逆に高まる。
それを懸念して厚労省は、3月1日になって、小学校の空き教室を学童に開放するよう求める通知を都道府県に出すことを決めている。一斉休校要請の「尻ぬぐい」である。この動きを見ても、茂木町の判断は間違ってはいない。政府・文科省による「上意」に従っていれば、それこそパニックを引き起こしていたかもしれない。「共働きやひとり親家庭への対応が必要です」と萩生田文科相が安倍首相に翻意を求めたように、もっと配慮されなければならないことだったと言える。
■教育現場は何を糧にして、どこへ向かうべきか
今回の一斉休校要請は「配慮」がまったくない、まさに「場当たり的」なものでしかなかった。だからこそ、前述したように「反乱」が起きたのだ。
学校だけ休みにして、保護者側では何の対策もなく、通常どおり出勤していたのでは、なにが感染予防なのか意味が分からない。何の準備をせずに急な一斉休校は、学校現場を混乱させるだけのものでしかない。
とはいえ、実際に「反乱」は起きたのだ。上意下達が当たり前の教育界で、反乱があり得ることを示した。
教員たちは自らの頭で考え、自ら決断することの重要性を、今回の一斉休校要請で学んだのではないだろうか。そして、それができることも経験した。その意味は大きい。
この気づきと経験が、自治体レベルの教育現場だけでなく、学校現場にも広がっていかないかと期待している。そうなれば、今回の一斉休校要請は、それなりに意味があったともいえる。
茂木町の町長が「他市町と事情が違う」と言ったように、教育現場の事情は地域によっても違えば、学校ごとにも違うはずである。それを、上から目線で十把一絡げにすることには無理がある。だから、問題も起きる。
上意下達の呪縛から抜け出すことができれば、教育現場は、学校現場は大きく変わるはずだ。今回の愚策が、そんな変化につながることを期待したい。
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